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自己主張 Archive

夢幻


 
いつになったら、
真っ直ぐ空を見上げる事ができるんだろう・・・
 
そぼ降る雨を両手に受けるように手を伸ばせば、
斜めにしか顔を上げられない自分に気付く。
 

 
消耗するだけの日々
空腹になっても食べる気力が出ない
 
それでも何かを変えようと・・・・動いてみる。
 

 
何時までも暗闇の中を、
重苦しい空気だけが走る。
 
終点なんてどこにも無いように感じるほど、
その行程は長く感じる。
 
まるで・・・
 
今、自分が歩いてる時のように。
 

 
救いなんて何処にも無い
満たされる想いも・・・
 
変わらないでいる自分の心は、
何の価値も認めてもらえないほど老いて、
伝わる勢いすら失う
 
それでも
時だけは流れていく
 
辿り着いた場所には、
冷たい風だけが静かに舞っていた。
 

渚園

今年は行くよ
あの夕日を見に。
 
 

 
友人が主催する宴に、毎年ふらっと顔を出し、
その都度綺麗な夕焼けを見て、
懐かしい友と語らいあって、
帰る。
 
そんな事がもう何度、続いたのだろう。
 
そして今年も・・・
 
 

 
ヤツと一緒に来てたのは何年前だったろう・・・
 
酒がすっかり飲めなくなってしまったヤツは自分から運転手を買って出てくれて、
私は宿泊組と一緒に酒を酌み交わしていて・・・
 
ホストはそんな私等を横目に料理に勤しみ・・・
 
 

 
 
「ここってさぁ・・・
 飛行機の通り道かなぁ」
 
「そう言われれば、飛行機雲が多いね。」
 
「あ、飛行機、綺麗に光ってる」
 
 

 
今年は秋雨前線停滞の中、奇跡的に晴れた1日だった。
 
ここに来る時は、
例え途中が豪雨でも、
必ず雨が止む。
 
だから参加者が居ない・・と聞いても、
自分だけは顔を出すのは当然だった。
 
 

 
 
「毎年、この夕日、見に来たいな」
 
「運転手は君だ」
 
「あはは。
 なんかさ・・・いいよね」
 
「うん。
 独特の穏やかさがあって、いいね」
 
「身体がもうちょっと言うこと聞けばなぁ・・・」
 
「充分、動いてんじゃん。
 ドライバーの仕事あるんだからやれよ」
 
「うん、そうだね。」
 
「腕が心配なら、運転手頼まないよ。」
 
「うん・・・
 来年も来れるかな」
 
「来年は智の車で来よう」
 
「手放さないように、働けって事?」
 
「あぁ・・
 大丈夫だよ」
 
「・・・・そうかなぁ・・」
 
「・・・そう、だよ。」
 
 
その年取った夕日は、優しい色をしていた。
 
その後何度か撮ったけど、いつも冷たい色しか出なくて、
フィルムじゃないとダメなのか?・・・と悩んだりしていた。
 
智成は・・・
 
その苦労を知らない。
 
 

 
 
今年の空は、優しい色をしていた。
 
何か重くのしかかっていたモノがその空に吸い込まれてしまったように、
見続けているだけで、心が軽くなった。
 
きっと、
この空を見るために・・・
 
私はここに、
来たのだろう。

家族

児童養護施設に行ってきた。
 
ただ、児童養護施設と聞いても、
ピンとこない人の方が多いかも知れない。
 
私にしてもその施設がどのような物かは何となく・・・しか知らなかったし、
行った事は過去、一度も無い。
 
 

 
 
「コチラで生活している子供達には、99%・・・親が居ます」
 
「え?
 家族による養育が困難な・・・という状況って、
 親が居ない・・という状況が多いのかと思いましたが?」
 
「戦災孤児を預かっていた時代とは違って、
 現在は虐待等の理由によって親と暮らせない子供が、多いのです。」
 
 
2歳から18歳までの児童が暮らす生活の場は、
想像していた以上に開放的で清潔で、そして穏やかな空気が流れていた。
 
ただ、子ども達に個室が与えられているワケではなく、
子供の数だけ保育士が居るわけでもない。
 
小さい頃から集団の中で暮らす彼らは屈託が無く、
人見知りをするような素振りはとうとう見る事ができなかった。
 
 

 
 
「人見知りをしない・・・というのは、ある意味異常なんです」
 
「え?」
 
「子ども達が個として生きるのに適している環境ではない事と、
 100%その子に向かい合う事ができない状況が、そういった反応を招いているのかも知れません。」
 
 
実は、里親制度について調べている中で施設の現状を見に行く事になったのが今回の訪問だが、
心ができていく時代を過ごす場所としてこの施設を見ると、そこで生きるしか術のない子ども達の辛さが心に刺さって痛かった。
 
 

 
 
「最初は私達が愛してあげればそれで良いと思ったんです。
 でも、それは大きな間違いでした。」
 
「正直に言えば、今まで持っていた価値観も概念も、全部壊れてしまった・・・というのが、
 初めて里子を育てた時の正直な感想です。」
 
 
多くの里子を育ててきた方に話を聞いてみて納得できたのは、
そんな声を聞けたから・・・だった。
 
施設では6人の児童に対して1人のスタッフ・・・といった現実があって、
そこにいる子供を預かるなら、1対1のつき合いとして精一杯の愛情を注ごう・・・と思うのは当然だろう。
 
だが子ども達にとっては、法律でカバーしてもらえる時期に育ててくれる親代わりの人達としての認識はあり、
例えば虐待によって傷だらけになった心を抱えていたりすると、愛情の存在と意味を理解するところからのスタートとなるため、
「家族」という言葉の意味を理解できるまでにはかなり時間がかかってしまうのだろう。
 
 
「どんな瞬間に『家族』になれたって、感じましたか?」
 
「・・・・・素直に甘えてくれた時・・・かな。
 つい最近、なんですけどね」
 
 
里子として生きてきたその子は、
18歳になったら愛情豊に育てられた家から出なくてはいけない・・・と思っていた。
 
その恐怖心と多感な年令がその子を荒らす。
 
「家族」として育ててきた里親の2人がどう説明しても納得できず、荒れに荒れた・・・・が、
里親の深い愛情と長い時間が、里子の心に最初から存在した深い溝埋める力を持っていた。
 

 
 
愛情とは、見返りを求めない想いであり、
愛情によってのみ応える事のできるもの。
 
自らの物を分け与える事が愛情であり、
余力を割いて分け与える施しとはまったく別のものだ。
 
血縁関係であったり、戸籍上の家族である事が家族の証明だとしても、
愛情を注げる相手である事が実は、家族としての関係の第一歩なんだろう・・・と思っている。
 
話を聞かせてくれた親子は、
家族としての絆を感じさせる空気を持っていた。
 
それはとても優しい色と匂いを伴っていた。

瞬間の判断

AEDの取材に行った。
 

 
 
日赤の支部で行われていた救急法講習会で、AEDの使い方を教えていたが、
それを見ていると、誰でも扱える・・・というイメージが揺らいでいく。
 
通報から救急車が辿り着く時間として6分という目安があるが、
その6分間の間に心肺蘇生を必要とする人の救命率を見ると、
AEDを使用した方が倍以上高い・・というデータを見せられた。
 
 
そりゃ・・凄いや。
すぐ導入して欲しい・・と単純に思う。
 
が、心肺蘇生ができる人が、安全・確実に使った場合は・・
という条件がありそうにも感じる。
 
心臓が停止している人を蘇生するのだから当たり前の事だが、
AEDを使用すれば、心室細動(要するに心臓の筋肉が痙攣している状態)を抑える事ができ、
心臓マッサージを効果的に行えるわけで、要は心肺蘇生と対をなす道具なのだ。
 

 
つまり、多くの人が心肺蘇生法を習得している・・という条件があって、
誰でも扱える・・という事が言えるようで、この機械を設置する事は勿論重要だが、
それ以前の問題が大きい・・と正直に感じた。
 
人の命に関わる事だから、ちゃんとやらなくちゃいけない。
 
で、自分はちゃんとやる知識も経験も無い・・・
となると、誰だって手は出せない。
 
従って、誰でも最低限の訓練を受けている、という環境整備が急務となるのだが、
学校教育の中で、ちゃんとした救急法の単位を設定している教育機関はどれだけあるのだろうか?
 

 
何もしなければ死ぬ・・という人を見た時、まず動く事が大事で、
その「動く」という意識を作る事は難しい・・・と思っているのだが、
素人が手を出すと胸骨を折ったり肺を壊したりする可能性がある・・・
というマイナスイメージを払拭する努力が、まだまだ日本では足りないようにも思う。
 
 
バイクに乗っていると、高確率で身の危険が起きる。
そしてその度、誰かの善意によって救われてきた。
 
だから自分も、そのような事態遭遇した時、
積極的に救助活動を行いたい・・と思っているし、
現実にできる事はやってきた。
 
ただ、そんな時、野次馬や通り過ぎる人達があまりに多く、
自分が事故を起こした時助かったのは、本当に運が良かったな・・と感じるのだが、
番組を作る時は、せめて立ち止まって声をかけようよ・・・というメッセージくらい伝えたいと思っている。
 
 
講習を受けていた人に「何故講習を受けようと思いましたか?」と質問したところ、
「事故に遭遇した時、自分の無力さを感じたから・・」という答えがあった。
 
何もできない自分を恥じる気持ち。
 
その気持ちが少しでも多くの人にあったら、
きっと事故現場で、見て見ぬふりをする人は減るだろう。
 

防災と言わない防災

防災と言えば、災害に対する備えを意味する事が多いが、
色々と取材をしてみるとどうやらそんな簡単なものでは無い事がわかってくる。
 

 
 
例えば、避難に対し支援が必要な人に対するリスト作り。
 
誰が何処に住んでいるか・・・を調べてリストにするだけの事だが、
プライバシーの侵害だ・・とか、個人情報保護法に触れる・・とかで協力が得られず、
地域における支援計画そのものが立ち上がらないのだ・・と自主防災組織のリーダーが語った。
 
防犯も防災も、結局町ぐるみで取り組むと、効果は上がりやすい。
 
遠くの親戚より近くの他人・・と言うように、いざ・・と言う時頼りになるのは、
やっぱり隣近所の手によるもの・・というデータがある。
 
隣に住む人の顔が解っていれば、見ず知らずの他人が家に入ろうとしてもすぐわかるし、
日頃話をする関係が出来上がっていれば、いざという時にも信頼関係が作りやすい。
 
そういう意味では、地域の防犯組織は防災の役も自然に担うのだろう。
 

 
平塚で取材をした時、お年寄りをどう避難させるか・・・という計画を立てている地域のリーダーに出会えたが、
防犯も防災も地域福祉も全ては人の和とシステマティックな体制作りにある・・・と言っていた。
 
消防団が地域の見回りをする時、独居老人の声がけや体調把握を行い、
災害時には地域の若者が避難の支援を担当するようにセッティングする。
 
そんな理想論が実際に行われていて、少なからず驚いた事を思いだした。
 
神奈川県では、そんな地域のリーダー達を対象に研修会を行っているが、
災害時、行政の力が個人個人に届くまでの間をケアする組織を下支えする施策としては、
必要不可欠なものなのかも知れない。
 

 
自分自身は?
と考えると、ほとんど自宅に居ないような生活故に、
かなり不安がある事に気付く。
 
地域の事など何も知らないし、
実際に自宅に居ない場合は、間違いなく局で報道の手伝いにあたっているわけで・・・
 
すいません・・・
言い訳です。
 
地域の事も、もう少し考えよう・・・と、
日記には書いておきます(/–)/
 

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