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2008-08

2008.8.6 HIROSHIMA

 

8月6日
平和記念公園に、私は居た。

 

何故、ここに来ようと思ったのか、
それは自分でも、今ひとつ理解できていない。

だから、感じるままにシャッターを切った。

 

 

核兵器が廃絶されるまで燃え続ける「平和の灯」は、
この日も燃え続けている。

この火が消えない事に対して、
「燃えっぱなしは、エコの時代にもったいない」
と言う人がいる・・と聞かされて、
63年の月日は、こうも人の気持ちを変えてしまうのか、と、
ただただ悲しい気持ちに包まれた。

 

 

毎年必ず、この日を街全体で迎え、
戦争の記憶を、核の怖さを伝える意味を、
あらためて考える、いや、考えざるを得ない場所。

その消してはならない記憶を伝える義務は、
日本にこそあると思うのだが。

 

 

牛乳パックで作ったキャンドルに、
平和を求めるメッセージを綴った子ども達は、
何を思うのだろう。

 

 

灯籠を流す少年は、何を思ったのだろう。

 

 

2008広島


 
暑さと、痛み。
 
そして、
既に失われた、もの。
 
どうやらそれを
私は確認に来たようだ。

言葉は必要ない?

信頼はどうやって築くのだろう。

相手を理解する。
相手の立場に立つ。
相手を尊重する。
自分を理解させる。
自分の気持ちを伝える。

それは言葉が通じる相手だからこそ、
誰でも理解できるだろう方法論ではあるが、
言葉が通じない相手となるとどうだろう。

彼女達は、コンビを組んでまだ2ヶ月。
使う言葉はアッサム地方の言葉だ。

彼女達を見て思うのは、
信頼と愛情の存在。

人間同士でも築くのは難しいのに、
既にそこにはちゃんとそれがある。

通じない言葉は、
かえってやっかいな存在なのかも、知れないね。

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