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2007-01-08

上海租界

1842年からはじまる上海の租界。
 
阿片戦争を終結させた南京条約よって始まった租界は、
行政自治権や治外法権をもつ外国人居留地だが、
私が宿泊した外灘地区(The Bund)はその租界地区であり、
そこにかかるこの橋は、外国人のみが渡れる橋として存在していた・・というから、
実際は占領と変わらなかったのだろう・・と思う。
 

 

 
大きなビルのすぐ隣に、昔ながらの長屋が並ぶ。
 
地元民の為に売られている饅頭は一個10円もしない値段で売られ、
市には野菜や肉、魚などが所狭しと並べられ、大晦日なのに人々は当たり前な顔をして出勤していて、
中国の持つエネルギーを垣間見たような気分になった。
 

 

 
古くは横浜もそうだった。
 
外国文化が真っ先に入ってくる土地には、
その時代の建物や文化が自然と備わっていく。
 
横浜は明治時代から西洋建築を大切にし、
関東大震災や横浜大空襲にも負けなかったものが昭和の時代には
当たり前に現役で使われていたものだ。
 
しかし時代は、高度成長期にからバブルが弾けるまでの間、恐ろしい勢いで変化し続け、
二度と手に入らない文化遺産の多くが無くなってしまったのは言うまでも無い。
 
そして横浜は横浜らしさをすっかり失い、人工的な都市景観だけが残された・・と言ったら言い過ぎかも知れないが、
この上海で古き住宅様式と浦東新区の奇抜とも言える高層建築が建ち並ぶ姿を見ると、中国の変化の様が想像できた。
 

 

 
今、上海は面白い
とよく言われる。
 
日本の高度成長期よりも大きな変化が、
様々なシーンで起きている。
 

 
一個10円しない饅頭が売られていた街には一杯300円を超える麺が売られ、
缶ビールはそれより高い400円オーバーするのに、コーヒーはさらにその倍の値段になっている。
 

 
そして浦東新区が見渡せるバーラウンジのカバーチャージが5000円という価格を付けているのを見て、
その貨幣価値の理解不能な設定を見ると、貧富の差の激しさが成功したものとそうでない物の差として
明確に浮かび上がってくるのを、感じた。
 

 
だが、新しい物だけを優先すると、
実は大切だ・・・と気付いた時には既に失われていた物の大きさを、知る事になる。
 
人間は、
破壊を伴う進歩も良しとして同じ過ちを繰り返し、
その場の利だけを見続ける生き物なのだろうか?・・・と思いながら、
「上海新天地」に行ってみた。
 
1920年代の一般市民の共同住宅である「石庫門」と言われる建築様式を
貴重な文化資産としてレストラン等に改築、保存されていると聞いたからだ。
 

 

 

 
笑ってしまった・・・
これじゃ、横浜の赤レンガ倉庫と一緒だ。
 
保存の為の転用は手段として間違っていないけど、
文化を保存したのではなく、リサイクルしただけの事。
 
何も残さない事から比べたら充分に素晴らしいと言えるけど、
それぞれの建物が持つ文化の欠片も想像できないのは、
私が外国人であるから・・だけではないように思う。
 

 
人は経験に学ばないと、
進歩できない。
 
だから目上の人間の話は大切なのだ。
だから学問は必要なのだ。
そして経験だけが自らの力として備わるものなのだ。
 
この殻だけ纏った古き町並みの中で、今を生きる若者達を見ていて思うのは、
これが「変化しつづける街」なのだ・・という事。
 
振り返って思い出す時間的距離が長くなってきた今の私にとって、
何を大事にこれから生きていくべきか・・という事が見えたような気がした。

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