- 2006-09-01 (金) 16:38
- 日記的雑感
朝晩の気温が下がり、
ふらっと酒を飲みに行こう・・と考えられるようになってきた。
そう言えば今年は、あまり飲んでいない。
飲む余裕が無かっただけなのだが、
寝ないでも一杯はひっかける・・・ほどの欲求が無かった、
というのが正直なところだ。
今年も、2/3が終わった。
あっという間に冬が来て、
あっという間に年が明ける。
去年よりも確実に浮つかない自分を嘲りつつ、
体力温存とばかりに無理をしない日々を歩んだ事に、少なからず苛つきを伴う焦りを感じる。
日々,納得できる生き方をしているか?
そう自分に問う事を怠ると,
時間をかけて研いできたものがあっという間にダメになる。
一流の職人が道具の手入れを怠らないように,
自分自身を研ぐ行為は必要なもの。
厳しくてつまらないが故に目を背けがちだが,
「自分らしさ」や「スタイル」にこだわるのなら,
最低限の美意識によって怠けている事に苛つきを感じられるだろう。
なんとなく,季節の移ろいを感じた瞬間,
「これでいいや・・・」と自らを納得させていたように感じ,
それがひょっとしたら「老い」の始まりだ・・・と気付いた。
エンジンを常にギリギリまで回して,
壊れる時は一気に壊れてしまうような生き方が好きだ。
エンジンに力があれば,多少の故障は問題なく,
たくさんの物を載せて走る事ができる。
壊さないように回さないで生きる事は確かに寿命を延ばしてはくれるだろうが,
何も載せない独りよがりな人生は楽であっても楽しくないと,私は思っている。
友人から文が来た。
とにかく動かないと前に進めない・・・と記されていた。
確かにその通りだ・・と感じる事が,
私自身にも起きている。
思い通りにいかないのが人生で,だからこそ面白いと思うのだが,
前に踏み出さない限り,新しいルートは生まれない。
また一つ,人生のインターチェンジに近づいたようだ。
コメント:1
- moyuzo 06-09-03 (日) 13:43
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どのようにでも 走り続けていられること・・
例えば 柄にも無く 出来ることの幾らかを守りにして
使い過ぎないように パワーの温存をしたとしても
どのようにでも 走り続けていられさえすれば
答えは 必ず その先に 用意されている・・。
日々 意識せずとも 前へ進むしかなく
そうして それが やはり
どのようにでも 走り続けている傍らで
ふと・・ 考える。
もし
どのようにでも
走ることも歩くことも出来なくなってしまったら
もし
何事かが訪れて
突然 前進する道を閉ざされてしまったら・・。
ありえない とは考えにくい。
むしろ
誰にでも 平等に そんな 突然は 起こりうる。
そして そんな突然に
思いがけず出遭ってしまった人は
世の中に きっと 溢れている。
だとしたら そんな時が訪れるまでは
どのようにでも 走り続けていれば充分だと思う。
どのようにでも 前へ進めているならば
それだけで 今 此処にいる価値はあるのだと
信じたい・・。
そして たとえ いつか
行く道を阻まれたとしても
それでも どのようにか 進める道を
諦めずに 探せる自分でいたいと思う。