- 2010-03-22 (月) 13:56
- Photo Essay
変わらない美は
変えない美意識によって培われ
時代に即した形に変化し、生き続ける。
それを知る為に行くワケでは無いが、
今年度は数多く歌舞伎座へ出かけていた。
十八番と言われる演目も、
先代の追善も、
古典的演目や斬新的な演出も、
今は数が少なくなった日本文化の型として
そこに生き続けていた。
文化を大切にしないと、
拠り所を見失う。
自分の国を大切にする意味すら
わからなくなる。
だからこそ、自分たちの文化や美意識、
そして国という物への定義を
心の中にしっかりと育てる意味は大きい、と思う。
しかしながらこの国には、
自ら襟を正す事を忘れてしまった人や自己中心的な生き方をする人が増え、
文化を大事にする人が集う歌舞伎座でさえ
多くのスティックウォーカーに気配りのできる人が少なかったのは
日本が持っていた文化が廃れてしまった事の証明かも知れない・・と、
かなり悲しい気持ちにもさせられていた。
昨晩は、兄弟達の拠り所開設を祝う宴があったが、
この空気もまた、新たな形にシフトしている事を感じた。
紆余曲折があるのは、我がMCの伝統でもあるが、
自分たちの場を守るのも、生きにくい性格の人間達が集うが故の事。
そして、集った兄弟達には
以前にも増して精神的距離の短さを感じられ、
それがまた、サブカルチャーとしての存在意義も持ってきた我がMCの
新たな一歩を支える力として、息づいてる感触を楽しむ事ができた。
ここのところ常に感じる事は
自分の感覚が随分とシフトした事。
過去には成立していたロジックも今は恥ずべき屁理屈にしか見えず、
知るべき天命が何であるか・・の感触だけが、掌にある。
残念だが、
そんなものだ。
ただ、伝える事は
きっとできる。
そして
ブレないで走り続ける事も。
「すいません、先輩方に迷惑をかけまして」
「どうした?」
「店の店員に喧嘩売られて、思わずテーブル殴って声を荒げてしまって。
そしたら『金は要らねぇから、コイツと友達と思うヤツは皆帰ってくれ』と凄まれたので、
これ以上居るとマジ、喧嘩になりそうだったので、
先に来ていた先輩達をおいて帰ってきてしまいました。」
「よく、我慢したな。
よく我慢、した。」
祝いの宴の後、近くの飲み屋で小競り合いがあったらしい。
聞けば、ちょっと前にメンバーの1人がその店でイザコザを起こしていて、
だから集まった兄弟達は静かに飲んでいたのだが、
その若者は店員から「うろちょろするんじゃねぇ」と言われて、切れてしまったようだ。
「店を潰すのは簡単だが、
そんな子供じみた言動をする店と同じレベルになりたくない。
よく我慢したな。」
番頭が、喧嘩早くて有名な若者を慰める。
そんな会話聞きながら、先に行って静かに飲んでたメンバーの顔を想像すると
店を壊してなければいいがな・・・と若干心配になってきた。
どちらかと言えば武闘派なメンバー達が、そこに居たからだ。
「暫く」
と、花道の奥で玉三郎が女が男の声を出したような口調で
か細くもよく通る強さで、声を出す。
3月の歌舞伎座公演の演目「女暫」の、一番の山だ。
傲慢で横暴な悪役を勇者がやり込める祝祭劇で、
歌舞伎十八番の1つ「暫」を女形の玉三郎がやる・・という趣向だが、
恨み辛みの存在する世の中にいて欲しい勇者を主人公に仕立てた劇は
今の世にも求められる人物像を、教えているのかも知れない。
「いい若者だ。」
番頭が呟く。
私も、同感だった。
そして、新たな一歩を踏み出す日に若者の我慢の美に触れ、
不器用でも筋を通す生き方は心地よいのだ・・と、あらためて気付く。
誰かが、「暫く」と声を上げねばならない状況が
様々なシーンで起きている。
「ツラネ」と「強力」を求められる役が必要なら、
身の丈にあった形でも行わなくてはいけない。
そんな事を考える時間があった事が、
幸せだと思った。
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