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O・MO・TE・NA・SHI / KENTAUROS SummerParty 2015
- 2015-07-18 (土)
- Photo Essay
その日、集合時刻には雨が降っていた。
ライダーにとっては嬉しくない天候だが、
ウェザー・リポートは回復の兆しを伝えている。
まして我が一族のパーティーは、
天候に関係無く開催される事が決まりとなっているので、
集結するメンバーは何も気にしていないだろうと、想像した。
MC.KENTAUROSのサマーパーティーは、
MCがホストとしてゲストを迎えるスタイルで、続いてきた。
実際、今年のパーティーを見ていると
参加メンバーの半数以上がスタッフとして動いているようにも
感じられる。
そしてそのスタッフは、必ずしも会場にいるワケではない事を
うすうす気づいてはいても、彼等の姿を追う事は今までは、無かった。
毎年、サマーパーティーの記録として撮影をしてきたが、
今年はいつもと違う視点で記録をする事になった。
そう
会場以外で動くスタッフに、フォーカスしてみたのだ。
今回追ったのは、道案内をするチーム。
高速のインターから会場までの間の要所に立ち、
参加者が道に迷わないように矢印看板を設置し、
ハンドサインを送って誘導する。
以前からも、迷いそうな場所に看板を設置してくれていたのだが、
今回は人数を割いてチーム編成を行い、ヨーロッパの公道レースに参加して
誘導方法等も学んできたメンバーがリーダーとなって実施された。
このステッカーが矢印看板となるが、
参加者が会場を目指す前に全部設置し、
宴が終了する頃には全部剥がして現状復帰する事になるので、
スタッフの数はかなりのものになる。
一方で、会場の準備も始まった。
雨はすっかり上がり、
看板設置を終えたチームも設営に参加する。
そして、気の早い参加者が到着する前に、
道案内チームは活動を開始した。
五輪誘致活動で一気に取り沙汰されるようになった「O・MO・TE・NA・SHI(おもてなし)」
ゲストに対する心のこもった歓待を、色々な形で実行するのが
ホストであるMC.KENTAUROSのメンバー達であるが、
こんな笑顔が待っているなら、遠くから馳せてきたゲストの疲れも
少しは癒えるではないか・・と感じたりもする。
そして宴が始まった。
毎年開催されるサマーパーティー。
今年も再会できた事を祝い喜び、
来年も再開できるよう心に誓う場所。
そして、宴から離れて動くスタッフもいて
成り立っているパーティーでもある。
ただ、道案内チームと一緒に朝から動いていたからか、
パーティー実施中は既に宴の終わりという気分に、させられていた。
この、絶対的な安心感の上に成り立っている感じは何かに似ている・・
と考えたら、テレビの生中継番組制作と似ている事に、気がついた。
私自身が制作を担当していた頃の事だが、
どういうルートで映像を飛ばすか?という技術面での調査から始まり、
番組内容や出演者の調整、また現場の許可申請や各種手配、などの準備を行い、
当日スタッフ50人以上をコントロールするのが、生中継番組の演出だ。
事前に時間をかけて綿密に準備を行い
当日は完璧なリハーサル行って問題点の抽出をして対処し、
ミスが起きてもリカバリーできるように別のプログラムも用意しながら、
本番にあたる。
そうすると、オンエアが始まる時には
全てが終わっているような気持ちになれるのだ。
ここまでやったら、後は予定通りに全てが流れていくだけの事、
と安心できる気分と言えば、その感じが伝わるだろうか?
どんな仕事であれミスが許されない事にあたる時は、
似たような考え方のもとに計画され、
完璧な準備とリカバリーが可能な裏付けを用意するものだろう。
そして今日、そんな気分になれたのは、
チームの準備と行動を目の当たりにしていたからだと、
あらためて感じていた。
「おつかれさまです。
帰り道、気を付けて。
飲んでないとは思いますけど、その先でアルコールチェックを受けてください。」
宴もたけなわな頃、
早々に引き上げるライダーに
見送りチームが声をかけていた。
ホストである事の意味を、考える。
それはこれからのパーティーの在り方を構築する
大事なテーマなのかも知れない。
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表現方法
- 2015-06-28 (日)
- Photo Essay
フラッと歩いた時、突然目に飛び込んでくる風景。
それに惹かれたら、すぐにシャッターを切る。
そんな簡単な事が、今でも難しいと思っている。
理想的な体制は、いつもカメラを握って歩く事。
でも今の私には、
それが難しい。
あまり格好良くは無いけど、
首からカメラを提げておけば持っている体制に近くなるので
なるべくそうするのだけど。
これは、そんな状態で歩いていて、
無意識に撮影したもの。
杖は投げだし、荷物も肩に提げたままだったけど、
それでもこんな風に撮れるから素敵だね。
iPadで撮って、Instagram経由でエフェクトかけてアップするのも面白いけど、
ちゃんとカメラで撮って、それなりに現像した方が空気感が出るように思う。
例えばこの写真もそう。
Instagram用にiPadで撮った後に、カメラを出して撮影して、
DXOでモノクロのフィルムトーンをかけてみた。
スピードを取るか、仕上がりを取るか。
それはその時の気分が支配する事。
クオリティは問題でなく、今、この空気感を発信したい、という気持ちと、
この空気感を自分なりに表現したい、という方法の違い。
その違いの優先順位が、気分によって左右されるだけの事、らしい。
そしてその日
そこに偶然に存在した空気は、
計算できないが故に、面白いものになる。
ただ最近は、風景より人を撮りたいと、思っている。
それもただ撮るのではなく、
その人の持つ空気を醸せるように。
という事で、
7月はちょっとそんな撮影も手がけたい、
と思っているけど、チャンスはあるのだろうか(^_^;
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